<語り継ぐ 戦後72年> 広島、地獄じゃった 

◆水上特攻隊、原爆投下後の救援で被爆

 広島市に原爆が投下された七十二年前の八月六日、救援活動のために爆心地へ入った十代の少年たちがいた。近くで訓練中だった水上特攻隊の隊員らで、残留放射線被爆し、戦後は何人も病に倒れた。元隊員の和田功さん(91)=広島市=は「8・6」を前に、あらためて不戦の思いをかみしめている。

 「市内に足を踏み入れたとたん、あぜんとした。まさに地獄のような光景じゃった」。和田さんは当時をこう振り返る。

 十九歳の上等兵。小型船舶を使った水上特攻隊「陸軍海上挺進(ていしん)戦隊」の一員として、広島市沖合の江田島で訓練中だった。

 ピカッ、ドーン−。大きな光と衝撃音を感じ、広島市の方角を見ると、大きなきのこ雲が浮かんでいた。上官の命令で、六日午後に仲間たちと広島市の宇品港に上陸。歩いて市中心部に入り、負傷者の救護を始めた。

 むしろと棒で担架を急造し、けが人を運ぶ。「『水をください』と頼まれるんじゃ。けがが悪化するので負傷者に水を与えてはだめと言われていたが、もう助からない人には、最後に水を飲ませてあげた」

 川に浮かんだ無数の遺体を船で引き揚げた。がれきを取り除き、黒焦げになった遺体を集めた。即席の火葬場をつくり、船舶用の重油を使って火を付けた。

 そんな作業が十二日ごろまで続いた。髪が抜けたり、歯茎から血が出たりする原爆症特有の症状が多くの隊員に現れ、和田さんも下痢に苦しんだ。基地に戻って、終戦。「お国のために死ぬのは当然」と思っていたが「もう死ななくていい。正直、ほっとした」。

 戦後は理容師となり、広島市内に店を開いた。戦後五十年になる一九九五年、昔の同期らに呼び掛け、秘密部隊だった海上挺進戦隊の記録集をまとめた。

 和田さんより前に訓練を受けた隊員らは台湾やフィリピン、沖縄などに出征し、多くが命を落としていた。市内で被爆した仲間のうち、把握できただけで十人以上が戦後間もなく、原爆症とみられる病気で亡くなっていた。

 戦争から日がたつにつれ、強まる思いがある。「核兵器は人類を破滅させる。あんなむごい戦争は、もう二度と繰り返してはいけない」

 (坪井千隼)

 <陸軍海上挺進戦隊> 太平洋戦争末期で敗色濃厚だった1944年に結成された水上特別攻撃部隊。ベニヤ板の小型モーターボートに250キロ爆雷を搭載し、夜間に敵艦を攻撃した。事実上、敵艦に体当たりする特攻部隊で、一般隊員の多くは10代の少年兵。沖縄、台湾、フィリピンなどに約2300人が出征し、7割が戦死。秘密部隊で当時、その存在は公にされていなかった。