ふれあいの次世代ネーミングを考える

元の発信記事が範囲限定公開設定だったので一応名前伏せるけど、とある飼育員さんがふれあい広場という名称からして問題だから、違うネーミングがないかな?と、超絶ナイス提案を書いていたので、刺激を受けて私もふれあいについて書いちゃいます

なにが問題かと言うと、その飼育員さんいわく、すべての動物は触れるという誤解も生むしって、本当にそうで、園館の諸問題の根源のひとつは、人間が欲張り過ぎだと思うのです。触りたい近くで見たいいい写真を撮って自慢したいレジャー的な楽しみ方がしたいそういう欲望に迎合しているから、自ら存在意義と持続性を失っているわけで、欲望とは言え動物に関心を持ってくれた人たちに対し、違う楽しみ方満足感を用意するのが、園館の任務だと思うのです。

端的に言っても、現状の、いわゆるふれあいって、ほとんどの園が動物に負担をかけている状況で、命の教育のために命に負担をかけるって成立しないと思うので、私は何年間もずっと、違う形を園関係者に提案し続けています

例えば

動物に選択権があること触られるか否かの。動物にも気持ちがあると伝えることこそ任務だし。

動物のサイズがオモチャ感のない、敬意につながる大きさであることヤギさんとか以上

動物の環境がばっちりであること衣装ケースにしまうとかせず

ふれあい用に数を多く用意せねばと、増やす殺処分方式をやめ、生涯ケアすること

動物のための教育が教育のための動物になってしまっていて、逆教育になっているのを変えること

本当に命の教育になっているのかを真剣に考えることたいてい、動物はこんな扱いでいいんだと思う人や、動物を道具視オモチャ視する人を増やす、逆教育になってます

べつにそういうコーナーがなくても、大丈夫ないならないで、なんてことない、気づかない来園者も多い

以上のようなことを図解つきの提案書まで用意して伝えては嫌われるという人間目線の現状維持派もいるので数年間を耐えてきたけど笑、最近どんどん変わってきて、感無量です

私は別に、動物にふれること自体を否定しているのではありません。むしろ、考古学をやっていた経験から、人間の触感の鋭敏さ大事さを痛感しています数千年前に割れた土器の接合、目視より手の感触のほうが正確なことも多いのです。

だから、そりゃ〜動物にふれることができたら、よい経験になる確率が高いでしょう。でも、ふれずに大人になったからって、必ずやばい人間になるわけでもないと思います。よく、命のあたたかさを体験する意義があるというセリフを聞きますが、この国の人は相当数、ふれあいで命のあたたかさを経験しているはずで、それでも殺人事件とか誰かを傷つける事件が普通に起こるわけで。ステレオタイプな文言や現状を見つめ直して本当に伝えたいことを伝えるにはどうしたらいいかを考えるほうが、誰にとっても利益のある改善ができると思うのです。

また、子どもの頃に自然体験をした人ほど、大人になってから保全活動に興味を持つ。という研究結果があることで、欧米の園は自然体験施設を園内に作ることを重視し始めていますし、その関連で動物にふれることも重視されているのかもですが、そもそも、動物に負担をかけていいんだと無意識にも思う経験を大人が用意してしまっては本末転倒なのではと、私は考えています。

しかも、本末転倒じゃない方法がいくらでもあるのですから、前向きに違う方法に移行すればいいだけの話だと思います。

大牟田ズー福岡県は、モルさんの抱っこをやめた上に、モルさんに選択権があるし、ふだんの住環境も工夫の数があるし、園のHPなどで意図をきちんと説明しています

さらに、マザー牧場千葉県はウサギさんやモルさんの抱っこをやめたし民営でもこの努力ができるのです!、天王寺ズー大阪市はウサさんちの環境改善と伝え方改善に取り組んでいるし

金沢ズー横浜市のヤギさんブラッシングも、ヤギさんに選択権があるし、ブラッシングをよろこんでくれるし、ヤギさんに喜んでもらえたうれしさや充実感があります

市川市動植物園のブタさんやヤギさんにも、ブラッシングと避難場所が用意されています

こんなふうに、園内の一部分でも、ちょっとずつ変えていく努力が、いま超重要なのです

日本中の園が総力をあげて的に広めてしまった、モルさんウサさん抱っこふれあいというイメージ、払拭する義務があるし、変化の波が来ているんだと思います

私は小さい頃から親に、自分がされてイヤなことは、人でも動物でも誰に対してもしないと教えられてきました。これって、命の尊重とか平和とか誰かを苦しめないとか傷つけ合わないとか互いに快適な暮らしとかの、基盤だと思うのです。

人間の楽しみのために、動物は苦しんでもよいなんていう発想は、せめて園館内だけでも、ひっくり返す努力をしないとそのための施設でしょう?

そういう想いや信念が形になるような、ふれあい広場に代わる次世代ネーミング、私もウキウキと考えたいと思います短くてキャッチーなほうが広まるだろうけど、熱く長い文章的でもおもしろいかも

と、記事を書いて数時間後に思い出しました笑。ふれあい変革提案書にて、次世代ネーミング、すごい大事だからと私も提案してた!笑

そのネーミングは、意図が少し限定的で、ふれあいだと絶対触れるというイメージに直結するから、それを避ける目的でくるかもですふれあいに代われるよう、ひらがなで4文字を意識しました。

行ったらいつでも絶対に触れるのではなく、なでなでしてほしい気分の動物が運よくいたら、その動物が自分のほうに来るかもという意識の徹底を意図していますあと、動物たちが充実の住環境で快適に過ごしている上で、自分の意思で来園者のほうに来るという状況を大前提にしている、という意図もあります

来るかもね〜でも、来なくたって悲しまなくていいんだよ〜動物にも気持ちがあるし来てくれる日を楽しみに、また来てね動物に無理させないやさしさをありがとうと、来園者の脳内を徹底的に保全方向にもっていく説明を毅然と繰り返すことこそ、園の任務です

もちろん、くるかもの現場では、動物が来てくれた子とそうでない子がいて、そうでない子はがっかりするでしょう。でも、そんな子が泣いてキーキー言わず、それもまたいい経験をしたのだとあたたかい気持ちで帰れるかどうかは、組織と現場の戦略理念と毅然とした態度と説明次第ですそして、自分たちの代わりにそういう説明ができる親や大人を育てるのですチューリヒ動物園のキュレーターさんが言ってた通り、来園者育成園の任務遂行には説明あるのみなのです

さらに言うなれば、動物に触れなくたって死ぬわけじゃないのに、その程度のことで動物には命がけの無理をさせるのはフェアではないという考えの人間を育てたいところだし。子どもにも、今日は触れなかったけど、そんな日もあるさという、いちいち悲しまなくていいんだという心のコントロールの仕方のほうこそ伝えたいし。

それに、例えば金沢ズーのヤギさんブラッシングを観察していても、もちろんヤギさんにブラッシングできる子と、そのチャンスがなかった子がいますが、泣き叫ぶ子多数みたいな惨劇には全くなっていません。ヤギさんに選択権があるのがすぐに理解できるので、ヤギさんの気分的に来ないこともあるよね〜と自然と理解している感じですし、待っていればチャンスが結構めぐってくるし。そういう面でも、ヤギさんとヒツジさんといった牧場系の方にご活躍頂くのが一番いいように思います。

で、まぁ、ネーミング的には、くるかもだと、動物は必ず触れるオモチャではない動物にも気持ちがあるまでは伝わりそうですが、一緒にしあわせという保全教育的には弱いなぁ説明でそこまで持っていけるとは思うけど

で、そもそもから考えたんだけど、他の動物宅との違いは、動物に直接関わる機会があることだから、ケアとかやさしさとかの言葉もいいかも掃除したりブラッシングしたり飲水替えたりをメインの活動にして、その過程で、ふれる機会もあるくらいで。ケア体験広場やさしさ広場お世話広場とか動物へのやさしさを体験発揮することで、一緒にしあわせを体験するための場という位置づけにすれば、なでるにしてもやさしくなりそうだし

まだまだ他にもアイデアありそうなので、名称を見ただけで動物と一緒にしあわせを体験する場所なんだと一発で伝わる名称、自分または誰かが思いつくのを楽しみにしています